2010年 11月 04日
帽子に節抜きというものがございます。 拇指が屈むときに、拇指の背が痛まぬようにということと、屈伸を自由ならしめるために致します。 堂前の弽以外は、本来は和帽子、中堅め、上堅めなどと申して、上堅めにしても、これは生革を水に浸して、木型に入れて乾燥させ、火を加えて整形したもののようで、弾力さえあったのではと思われます。 三河の弽、竹林の弽などはみな、節抜きが定めとなっております。 ここに示しましたのは竹林の名手「三勝」を模したものでございます。 本来は水牛の角で極薄く、軽く作るのでありますが、現今は弓が弱いこと、木でも肉をうまく持たせれば充分使用に耐えることなどもございまして、私どもは多くは木で製します。 現に私が用いる竹林の弽は木帽子ですが、六分八厘までは問題ございません。 師は水牛を用いるときは、日当分余分にいただくと申しておりました。 時間にして四倍くらいはかかるやに思います。 竹林の弽については、また改めまして申すことに致しますが、昨今随所で竹林の弽を目に致します。 文書が遺っておるのですが、実物と対照して文書は読まなければ、私どもの常識から副詞や形容詞を捉えますと、随分不都合がございます。 実寸を書いたものなれば多少信頼が置けるのでありますが、こればかりは人の手も大きさ太さが異なります故、意味のないものでございます。 文書を読む際には、自分の常識と照らして良いものかどうかをよくよく吟味いたさねば大きく誤ることがございますように、先達から教わっております。 #
by mitsunori55555
| 2010-11-04 21:37
| 制作
2010年 11月 04日
師のお宅に伺うと、抹茶が出されたものでありました。 駿河界隈は当然ながら、茶の名産地でございます。 私も帰路に必ず茶を求めて帰ったものでございます。 仕事をしておると、割合のどの渇くもので、常に飲み物を用意いたします。 その時に具合がよいのが、筒茶碗であります。 これは私が数年前に製したものでございます。 釉薬の具合がよろしくございませんが、使用には事欠きません。 高台が低く、口が広いので、取り損じることもなく、安心して手にできるのであります。 急ぐ仕事の場合は、無意識に手が動くもので、いちいち取り損じを気にしているようでは、 仕事に隙ができてしまいます。 というほどまで追い込まれるほど仕事が遅いようでは、これもまた具合の悪いものであります。 #
by mitsunori55555
| 2010-11-04 19:10
| 道具
2010年 11月 04日
四ツ弽の帽子をいかにしたものかと考えまして、いろいろと古い物を手にとって見ましたところ、矢張り昔のものは、四ツは帽子が大きく、平付けであるようです。 師も以前、「昔は平付けということになっておった」と申しておりました。 何故平付けかと申せば、もとは堂前の射法に則っておったからであろうと思われます。 長い帽子は、強弓を引くために、帽子に三指の力を掛けるため、また控えから帽子を鎧が如くに堅め、強さに負けぬように。 弦枕は思い切り根本へつけます故に、ひねり掛けて弦が帽子の腹を強く走るようでは、矢勢が落ちてしまうとのことであろうかと思います。 現今の射法で考えますと、不具合が生じることはいうまでもありますまい。 20キロ程度の弱い弓において、少しでも緩みが出ますと、弦の走りが一定ならずして、 矢勢が落ち、矢所が定まらぬことは、古人にとっては経験的に明らかでありましたでしょう。 この弽、銘は「次則」。 駿河の石田卓次という弽師によるもの、 こちらは私の師の師にあたる職人でございます。 針目が非常に丁寧であります。最も当時であれば当たり前の仕事でもありましょう。 おそらくこの控え革、五寸一筋を30分程度で縫い上げたのではないものかと思われます。 定規は現今でいう曲尺でございますが、師の代までは具足として「文尺」を用いたということであります。 糸は私どもが用いておるものより、若干太いようにも思われます。 当時の手縒りのものは、機械縒りに比して縒りが戻りにくいと聞いております。 が、手縒りの糸を用いたことがございませぬゆえ、その味わいは分からぬものでございます。 革は灰色ですが、これは松葉か松根を用いて燻したものが斯様になるわけでございますが、 こちらは染料であるようにも見受けられます。 松葉の本燻しとはまた、えもいわれぬ味わいものでございます。 こちらは控えの長さを除けば、堂前の弽に近いように思われます。 同じ手による三ツ弽を見ますと、其の違いが明らかであります。 現今の弽を見ておりますと、四ツは三ツよりやや帽子が長く、指が余分についているだけのように見受けられると聞きますが、何分世情に疎いため、そうであるのかと思うばかりでございます。 もっとも、左様にして道具というものは改新して参るものであります。 世情に疎いということは、我が身の恥の最たるものでございます。 #
by mitsunori55555
| 2010-11-04 12:22
| 資料
2010年 11月 03日
久々に刃物の切れ具合をたしかめんと、やわらかめの砥石にのせて「あたり」を探りました。 指先の感覚をとりもどしながら、修行のはじめから使用している革挽きを研ぎました。 これは大和流の老師から譲り受けたものであります。 不思議とそれ以上の切れがある革挽きに出会わないものでございます。 修行はじめからをれを使用できていたことはまことに幸いとしか申せません。 いわゆる「甘切れ」といった形容が適当のようでございます。 師匠に教わった革挽きの形は万能でありまして、角で引ききり、蛤形にした部分で剥きとるように用います。 一息で引き切ることができるかどうかで、仕上がりが変わると聞いて参りました。 しかし、やはりそれは年季のはいった職人の技でございます。 我々にはとうてい及ぶところではございません。 革の仕事は、切れが悪いと全く仕事になりません。 師匠の包丁の研ぎは、まったく荒い物でございましたが、 非常に実用本位であったのだと思いをめぐらしております。 切れるというより、「切らす」といった扱いでありました。 刃物と砥石と腕が良くないと、 革が切れずに、息が切れる、というように申し伝えられて参りました。 #
by mitsunori55555
| 2010-11-03 17:05
| 制作
2010年 11月 02日
三年ぶりくらいになりますか、仕事を再開したいと思っております。 といっても、なかなか環境を整えることから始めねばなりません。 幸い、修行時代から、転居するときは窓際の明るい、柔らかい光の入る場所を選んでまいりました。 陶芸の場合は、光の安定した北向きが良いとされますものです。 土の乾燥状態に関係するからであるように聞いております。 弽制作の場合はどうかと申しますと、やはり夏場は暑くなると汗をかいて仕事になりません。 現在は空調ができますので、これは今となってはむしろ差別的な発言となるのやもしれませんが、手が熱い人はこういった仕事には不向きだといわれて参りました。 しかし、四季を感じながら仕事をすることは不可欠であろうと思いおります。 久々に道具を並べてみると、手あぶりの火鉢には曾祖父の愛用の鉄瓶、鑿は船大工の祖父のもの、 そのほかの道具は職人仲間が作ってくれたもの、そんなものばかりであることに、驚き、同時にそれらの人に見守られているような気がして心強いものでございます。 じっくりと仕事に向き合ってみようと気持ちを新たにしておるところ、 よろしくお引き立てくださいますようお願い申し上げます。 #
by mitsunori55555
| 2010-11-02 10:38
| 偶感
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